最高裁判所第三小法廷 昭和55年(オ)310号 判決 1985年7月16日
主文
本件上告及び附帯上告を棄却する。
上告費用は上告人の、附帯上告費用は附帯上告人の各負担とする。
理由
上告代理人関哲夫、同樋口嘉男、同半田良樹、同中村次良の上告理由第一及び第二について
建築基準法(以下「法」という。)六条三項及び四項によれば、建築主事は、同条一項所定の建築確認の申請書を受理した場合においては、その受理した日から二一日(ただし、同条一項四号に掲げる建築物に係るものについては七日)以内に、申請に係る建築物の計画が当該建築物の敷地、構造及び建築設備に関する法令の規定に適合するかどうかを審査し、適合すると認めたときは確認の通知を、適合しないと認めたときはその旨の通知(以下あわせて「確認処分」という。)を当該申請者に対して行わなければならないものと定められている。このように、法が建築主事の行う確認処分について応答期限を設けた趣旨は、違法な建築物の出現を防止するために建築確認の制度を設け、建築主が一定の建築物を建築しようとする場合にはあらかじめその建築計画が関係法令の規定に適合するものであるかどうかについて建築主事の審査・確認を受けなければならず、確認を受けない建築物の建築又は大規模の修繕等の工事はすることができないこととし、その違反に対しては罰則をもつて臨むこととしたこと(法六条一項、五項、九九条一項二号、四号)の反面として、右確認申請に対する応答を迅速にすべきものとし、建築主に資金の調達や工事期間中の代替住居・営業場所の確保等の事前準備などの面で支障を生ぜしめることのないように配慮し、建築の自由との調和を図ろうとしたものと解される。そして、建築主事が当該確認申請について行う確認処分自体は基本的に裁量の余地のない確認的行為の性格を有するものと解するのが相当であるから、審査の結果、適合又は不適合の確認が得られ、法九三条所定の消防長等の同意も得られるなど処分要件を具備するに至つた場合には、建築主事としては速やかに確認処分を行う義務があるものといわなければならない。しかしながら、建築主事の右義務は、いかなる場合にも例外を許さない絶対的な義務であるとまでは解することができないというべきであつて、建築主が確認処分の留保につき任意に同意をしているものと認められる場合のほか、必ずしも右の同意のあることが明確であるとはいえない場合であつても、諸般の事情から直ちに確認処分をしないで応答を留保することが法の趣旨目的に照らし社会通念上合理的と認められるときは、その間確認申請に対する応答を留保することをもつて、確認処分を違法に遅滞するものということはできないというべきである。
ところで、建築確認申請に係る建築物の建築計画をめぐり建築主と付近住民との間に紛争が生じ、関係地方公共団体により建築主に対し、付近住民と話合いを行つて円満に紛争を解決するようにとの内容の行政指導が行われ、建築主において任意に右行政指導に応じて付近住民と協議をしている場合においても、そのことから常に当然に建築主が建築主事に対し確認処分を留保することについてまで任意に同意をしているものとみるのは相当でない。しかしながら、普通地方公共団体は、地方公共の秩序を維持し、住民の安全、健康及び福祉を保持すること並びに公害の防止その他の環境の整備保全に関する事項を処理することをその責務のひとつとしているのであり(地方自治法二条三項一号、七号)、また法は、国民の生命、健康及び財産の保護を図り、もつて公共の福祉の増進に資することを目的として、建築物の敷地、構造、設備及び用途に関する最低の基準を定める(一条)、としているところであるから、これらの規定の趣旨目的に照らせば、関係地方公共団体において、当該建築確認申請に係る建築物が建築計画どおりに建築されると付近住民に対し少なからぬ日照阻害、風害等の被害を及ぼし、良好な居住環境あるいは市街環境を損なうことになるものと考えて、当該地域の生活環境の維持、向上を図るために、建築主に対し、当該建築物の建築計画につき一定の譲歩・協力を求める行政指導を行い、建築主が任意にこれに応じているものと認められる場合においては、社会通念上合理的と認められる期間建築主事が申請に係る建築計画に対する確認処分を留保し、行政指導の結果に期待することがあつたとしても、これをもつて直ちに違法な措置であるとまではいえないというべきである。
もつとも、右のような確認処分の留保は、建築主の任意の協力・服従のもとに行政指導が行われていることに基づく事実上の措置にとどまるものであるから、建築主において自己の申請に対する確認処分を留保されたままでの行政指導には応じられないとの意思を明確に表明している場合には、かかる建築主の明示の意思に反してその受忍を強いることは許されない筋合のものであるといわなければならず、建築主が右のような行政指導に不協力・不服従の意思を表明している場合には、当該建築主が受ける不利益と右行政指導の目的とする公益上の必要性とを比較衡量して、右行政指導に対する建築主の不協力が社会通念上正義の観念に反するものといえるような特段の事情が存在しない限り、行政指導が行われているとの理由だけで確認処分を留保することは、違法であると解するのが相当である。
したがつて、いつたん行政指導に応じて建築主と付近住民との間に話合いによる紛争解決をめざして協議が始められた場合でも、右協議の進行状況及び四囲の客観的状況により、建築主において建築主事に対し、確認処分を留保されたままでの行政指導にはもはや協力できないとの意思を真摯かつ明確に表明し、当該確認申請に対し直ちに応答すべきことを求めているものと認められるときには、他に前記特段の事情が存在するものと認められない限り、当該行政指導を理由に建築主に対し確認処分の留保の措置を受忍せしめることの許されないことは前述のとおりであるから、それ以後の右行政指導を理由とする確認処分の留保は、違法となるものといわなければならない。
そこで、以上の見地に立つて本件をみるに、原審の確定したところによれば、(1) 被上告人(附帯上告人)は、昭和四七年一〇月二八日本件建築物に係る建築確認の申請をしたものであるところ、同年一二月、上告人(附帯被上告人)の紛争調整担当職員から、本件建築物の建築に反対する付近住民との話合いにより円満に紛争を解決するようにとの行政指導を受け、それ以降付近住民と十数回にわたり話合いを行い、右職員の助言等についても積極的かつ協力的に対応するとともに、上告人の適切な仲介等を期待していた、(2) ところが、上告人は、翌昭和四八年二月一五日に、同年四月一九日実施予定の新高度地区案を発表し、右二月一五日以降の行政指導の方針として、右時点で既に確認申請をしている建築主に対しても新高度地区案に沿うべく設計変更を求める旨及び建築主と付近住民との紛争が解決しなければ確認処分を行わない旨を定め、上告人の担当職員は、同月二三日被上告人の代表社員中谷健に対し右方針を説明して設計変更による協力を依頼するとともに、付近住民との話合いを更に進めることを勧告した、(3) 被上告人としては、それまで上告人の行政指導に応じて付近住民との話合いに努めてきたが、実質的な進捗をみるに至らなかつたうえ、新高度地区案が発表され、これを契機として前記のような行政指導を受けたので、このまま住民との話合いを進めても右新高度地区の実施前までに円満解決に至ることは期し難く、その解決がなければ確認処分を得られないとすれば、新高度地区制により確認申請に係る本件建築物について設計変更を余儀なくされ、多大の損害を被るおそれがあるとの判断のもとに、もはや確認処分の留保を背景として付近住民との話合いを勧める上告人の行政指導には服さないこととし、同年三月一日受付をもつて東京都建築審査会に「本件確認申請に対してすみやかに何らかの作為をせよ」との趣旨の審査請求の申立をした、というのであり、原審の右事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして是認することができる。
右事実関係によれば、被上告人が昭和四八年三月一日の時点で行つた前記審査請求の申立は、これによつて建築主事に対し、もはやこれ以上確認処分を留保されたままでの行政指導には協力できないとして直ちに確認処分をすべきことを求めた真摯かつ明確な意思の表明と認めるのが相当である。また、被上告人はそれまで上告人の紛争調整担当職員による行政指導に対し積極的かつ協力的に対応していたというのであつて、この間に当該行政指導の目的とする付近住民との話合いによる紛争の解決に至らなかつたことをひとり被上告人の責に帰することはできないのみならず、同年二月下旬には本件建築確認の申請から三か月以上も後に発表された新高度地区案にそうよう設計変更による協力を求める行政指導をも受けるに至り、しかも右新高度地区の実施日が一か月余に迫つていたことからすれば、被上告人が右三月一日の時点で、右審査請求という手段により、もはやこれ以上確認処分を留保されたままでの行政指導には協力できないとの意思を表明したことについて不当とすべき点があるということはできず、他に被上告人の意思に反してもなお確認処分の留保を受忍させることを相当とする特段の事情があるものとも認められないというべきである。そして、上告人の紛争調整担当職員及び建築主事においては、それまでの行政指導の経過、右審査請求の内容及び被上告人がかかる方途に出た時期等を冷静に検討、判断するならば、右審査請求の申立が被上告人の一時の感情に出たものとか住民との交渉上の駆引きとしたとかいうようなものではなく、真摯に確認申請に対する応答を求めていることを知つたか、又は容易にこれを知ることができたものというべきである。したがつて、右審査請求が提起された昭和四八年三月一日以降の行政指導を理由とする確認処分の留保は違法というべきであり、これについては建築主事にも少なくとも過失の責があることを免れないものといわなければならない。
してみると、本件において昭和四八年三月一日以降の確認処分の遅滞につき上告人に国家賠償法に基づく損害賠償責任を肯定した原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は原審の認定にそわない事実若しくは独自の見解に基づいて原判決を論難するものであつて、採用することができない。
右上告代理人らの上告理由第三について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係及びその説示に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原判決を正解しないか又は独自の見解を前提として損害額の範囲に関する原審の判断の不当をいうものであつて、採用することができない。
附帯上告代理人浅井和子の上告理由について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係及びその説示に照らして是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は原審の認定にそわない事実若しくは独自の見解に基づいて原判決の不当をいうものにすぎず、採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 木戸口久治 裁判官 伊藤正己 裁判官 安岡満彦 裁判官 長島 敦)